(じゅ) 心身が発達し、ものごとを識別できるようになると、自然に、好き・嫌い・憂い・悲しみ・苦しみなどのような、さまざまの感情が起こるようになります。これを『受』といいます。心に起こる最初の感情を、『受』というのです。【受容して生じた苦・楽・非苦・非楽をいう】
愛
(あい)
このような感情が起こるようになると、当然のこととして、ものごとに対して『愛着』が起きてきます。これは、好きなものに心がとらわれることです。この段階では、まだ無邪気な心の動きの状態をいい、自分が楽しく感じる物に執着を感じている状態を云います。【渇愛】
取
(しゅ)
愛着を感じると、どこまでも追い求めていこうという欲望が生まれます。愛着・執着の気持ちが強くなると、得たものは離すまいという気持ちが起こります。反対に、嫌なものを遠ざけたい、逃げたいというような、自分本位な心の働きが起きてくる状態を、取というのです。【執着】
有
(う)
取が生じると、人の感情はそれぞれで、物事に対する考え方や判断が違ってくるようになり、それぞれが、自分の立場でものごとを主張をするようになります。つまり、『他人と自分を差別や区別』をする意識を持つようになります。そうした差別や区別する心の状態を有といいます。こうした意識の状態が芽生え始めて、意識に幸・不幸を感じるようになり、他人との不調和が人と人との対立を生み、争いが起こり、苦楽を意識するようになります。これらは、差別や区別する心であり、有が引き起こすものとされています。【生存すること、憂・悲・苦・悩をいう】
『取(しゅ)』があると、人間はそれぞれの考えや主張がでてきます。それが10.『有(う)』です。有とは、自己中心の心がもたらす差別・区別の心です。好きなものには親しんで、気に入らないものや嫌いなものは排除(はいじょ)するのが、人間世界の姿です。 こうした差別心は、人間に対立や争いを起こします。争いや対立は苦しみを伴います。このように苦しむ人生を11.『生(しょう)』と云います。
そして目先のできごとで喜んだり、悲しんだり、苦しんだりして生きているうちに、12.『老死(ろうし)』を迎えるということになります。