伝説的な舞台音楽を作ったシーザーは、音楽を作るとき、もう音楽はそこに既に寺山修司の中にあって、それを寺山修司の言葉の中から拾っていくだけだと言う。
劇団に入る前は新宿の3大フーテンと呼ばれていて、凄くモテたこととか、寺山修司が死んだ47歳に人生を選んだとか面白い事がたくさんあった。
有名な漫画家とかびっくりする人達も在籍していた劇団は、入る前と後ではみんなの人生を変えてしまったらしい。
やめた後はみんな表現の場所を求めて色んな分野へ向かい、アダルトビデオの巨匠になった人もいる。
忙しいことを良いとした寺山修司だけど、負け犬というのも一番嫌って、そういう題名の本も出した。
寺山修司もシーザーも全てのエネルギーを劇団へ使い、生涯2部屋のアパート住まいらしい。
やはり突出した人とは価値観の中に生きている。