<八百万の神が住む、柔らかな社会体制>
封建社会の江戸時代には関所が全国に53ヶ所あった。東海道には「箱根」と「今切(新居)」があり、これによって庶民の移動は制限されていた。そして関所破りは極刑に処せられた。 このことは間違っていない。けれども「抜け参り」「お蔭参り」はこれでは説明がつかない。建前は厳しいけれども実際の制度運用は結構アバウトであった。 こうした面に目を向けると、一神教と多神教の違いが頭に浮かぶ。日本は八百万の神が住む厳しい制度も柔らかく運用される社会であった。「本当は満足とは言えないけれど、この程度なら我慢しようか」という妥協点を見出すことが民主制度の特徴と考える、 デモクラシーとは日本の様な多神教の社会、柔らかな社会体制を受け入れる所にこそ適した社会制度であるように思えてくる。デモクラシーという面からでなくて、アナーキズムを追求していくうちに、日本の特徴として多神教であることに注目したのが、大澤正道であった。
<功利的な民主制度に適した、柔らかな社会体制>
デモクラシーの要件としては、三権分立、代議員制度、多数決原理、平等な投票権などがあげられる。江戸時代はどれも当てはまらない。 民主制度とはかけ離れた制度であった。それにもかかわらず、江戸時代に気持ちの豊かさを感じるのは、こうした柔らかな社会体制であったことによるのではないだろうか?大澤正道もそうしたことでアナーキズム的な感覚と江戸時代とに共通点を感じたのだろう。 フリードリッヒ・A・ハイエクがこんな風に言っている。「デモクラシーとは熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく,政治的・経済的な個人の自由を保証するための功利的な制度なのである」と。 こうした捉え方は、一神教の「科学とは反証可能なものでなければならない」との姿勢からは生まれにくい。アナーキズムもデモクラシーも西欧で生まれた考え方にもかかわらず、日本の文化風土に適したものである、とは不思議なことだ。 そして日本のこうした文化風土は特別のイデオロギーから生まれたものではない。こうしたことを考えていくと、日本の文化風土は特別なイデオロギーによって生まれたものではないし、特別な人間に始動されたものではないことに気付く。