……大阪住吉大社の神宮寺には二基の方型大塔があったが、これも明治分離で取毀されることになった。その時、たまたまこの地へ来た四国霊場の一つ切幡寺の住職がこれを知り、保存の良かった西塔の方をもらいうけ海を渡して寺に再興復元した由だ。私がはじめてこの塔をみた時、土地の人は運ばれてきた材の組立て方がわからず、方形大塔という変った形になったと伝えられているとのことだったが、そんなことはなく、元の位置での写真が残されていて、あの形の塔二基が列んでいた。(中略)近年重文に指定された
「元和二年(一六一六)徳川秀忠公の建立とされていて、四国では石手寺塔についで古い」
……大阪住吉大社の神宮寺には二基の方型大塔があったが、これも明治分離で取毀されることになった。その時、たまたまこの地へ来た四国霊場の一つ切幡寺の住職がこれを知り、保存の良かった西塔の方をもらいうけ海を渡して寺に再興復元した由だ。私がはじめてこの塔をみた時、土地の人は運ばれてきた材の組立て方がわからず、方形大塔という変った形になったと伝えられているとのことだったが、そんなことはなく、元の位置での写真が残されていて、あの形の塔二基が列んでいた。(中略)近年重文に指定された
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